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  • 執筆者の写真さびら 株式会社

仏壇の人はどんな人なの。〜琉球新報教育リレーコラム④〜

みなさん、こんにちは。 株式会社さびらの安里です。2024年1月14日(日) 琉球新報教育面 教育リレーコラムにて掲載のコラムをお届けします。


今回のテーマはご先祖さまです。私は戦争体験をおばぁ(祖父の姉)から聞いたことがあります。おばぁの戦争体験と私がお正月に感じていた、トートーメー(位牌に刻まれた名前)にまつわるエピソードを書いています。ぜひご覧ください。


平和の礎(iいしじ)

 

2024年1月14日(日) 琉球新報 教育面 リレーコラム 

2024年1月14日(日) 琉球新報教育面 教育リレーコラム 「仏壇の人はどんな人なの。」安里拓也 https://ryukyushimpo.jp/news/education/entry-2690157.html


平和の礎(刻銘版)に刻まれた名前

 

仏壇の人はどんな人なの。


お歳暮を手土産に親戚の家を巡る。知らない名前が並んだ仏壇に手をあわせる。トートーメーに刻まれた名前は誰だろう。父さんや母さんに聞いてもわからないと言う。小さい時からずっと疑問に思っていた。


2017年、大学生になった私は、講義の一環でおばぁ(祖父の姉)の戦争体験を聞くことになった。


おばぁは当時15歳。島民の半分が犠牲になった伊江島で、弟、おじぃ、いとことその子どもたちの合わせて6人で島中を逃げ回った。艦砲射撃や空襲が激しくなってきた3月下旬からは、大きな防空壕で避難生活をした。食べ物や水が底をつきかけた4月上旬、防衛隊に召集されていた父ちゃんが壕にやってきた。父ちゃんは子どもたちが飲まず食わずの状態と知り、「やー(家)から黒砂糖をとってくる」と言って夜更けに壕を出た。これが父ちゃんと最期の会話になったそうだ。


翌朝、父ちゃんを探しに行ったが、死体の数が多く、見つけることができなかった。壕の近くに爆弾が落ち、その場を離れた。おばぁたちは壕を転々としたあと米軍に捕まり、捕虜となった。戦後、戦争で全て破壊された伊江島は米軍基地となり、住民が帰ることができたのは2年後…生き別れた場所には遺骨も何も残っていなかった。


「父ちゃん」は私にとってのひいおじい。家族を心配する優しい顔が浮かんで見えるような気がした。2017年の慰霊の日、摩文仁の刻銘版に刻まれた同じ名前をなぞるように手で触れた。そしておばぁの話を思い出しながら、手をあわせた。刻銘された24万人の1人、私のひいおじい。お正月の景色が少し変わって見えた。


株式会社さびら 教育旅行チーム 安里拓也


平和の礎を案内する株式会社さびらスタッフ

 



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