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  • 執筆者の写真さびら 株式会社

普天間基地と沖縄戦が両方学べる「嘉数高台公園」

更新日:2023年11月6日

皆さん、こんにちは。 株式会社さびらのあさたくです。 本日は、株式会社さびらが行っている平和学習ツアーにて よく訪れる場所を紹介したいと思います。

今日は、宜野湾市にある「嘉数高台公園」をご紹介します。

嘉数高台公園 銃弾の残る壁

※公園の入り口に設置されている「弾痕の残る壁」

1,嘉数は沖縄戦の激戦地だった


嘉数高台公園は、沖縄島中部に位置する宜野湾市にある公園です。小高い丘の上にあり、地域住民の憩いの場となっていますが、沖縄戦時中には日本軍が多くの陣地壕を築いていました。この場所で日米両軍が最初に衝突した「嘉数の戦い」と呼ばれる戦いが行われ、沖縄戦の中でも激戦地の一つとなりました。


そうした歴史を持つことから、この公園は1年を通して修学旅行生を中心に多くの方々が平和学習のために訪れる場所となっています。


嘉数高台公園展望台

嘉数高台公園展望台
 【中部】戦後75年を迎え、宜野湾市立博物館は11月29日、本島中部地域の戦線を巡る講座を開いた。参加者10人が宜野湾市や中城村、西原町、浦添市の戦跡を回って各担当者の説明を聞いた。日米の激戦や住民の様子を想像し、戦争と平和について考えた。
 米軍が1945年4月に本島へ上陸後、中部では日米の組織的な戦闘が各地で繰り広げられた。宜野湾市は博物館の平敷兼哉館長が、嘉数高台公園に市内で唯一残るトーチカや、陣地壕などを紹介した。中城村は日本軍の161・8高地陣地、西原町は弾痕の残る壁や陣地壕、浦添市は米映画「ハクソー・リッジ」の舞台となった前田高地などを巡った。各地の解説は、各自治体の教育委員会職員や歴史ガイドが担った。

2020年12月10日 琉球新報「ハクソー・リッジやトーチカ巡る 宜野湾市立博物館の沖縄島中部の戦跡講座」より引用


1945年4月8日から始まった嘉数の戦い。

当初、米軍は嘉数を1日で制圧する予定でしたが、日本兵の行った自爆攻撃や地形を利用した反射面陣地からの攻撃に対応できず、戦闘は16日間に渡って繰り広がられ、日米両軍や住民ともに多くの犠牲者を出しました。


公園内には弾痕が残る民家の壁や、日本兵が使用した陣地壕やトーチカ(コンクリート作りの防御陣地)といった戦跡が残されており、沖縄戦を学ぶ場所として役割を担っています。


また、沖縄戦で亡くなった嘉数住民を祀った「嘉数の塔」、この地で戦死した京都出身の兵を祀った「京都の塔」、そして朝鮮半島出身者を追悼する「青丘之塔」といった多くの慰霊碑も点在しています。


嘉数の塔

京都の塔

※京都の塔と嘉数の塔。碑文には住民の戦争被害について記載されている。


また、公園内にある展望台からは、約1キロ先にある米軍普天間基地を見渡すことができます。展望台からは嘉数の住民が戦争前・戦時中に軍隊と共にどのような生活していたのか、そして普天間基地がどのように作られ、生活の中に軍事基地があるという日常をどのように考えればいいのかという観点から、議論を深めていきます。

嘉数高台公園展望台

※展望台から見た宜野湾市内の風景。真ん中には普天間基地の滑走路が見える。


嘉数高台公園のガイドでは「軍隊と住民」を軸に沖縄戦から普天間基地の成り立ちや背景を説明する、沖縄戦と基地問題をつなげて考えるフィールドワークを提供しています。

その他にも株式会社さびらでは、沖縄戦や基地問題について考えるワークショップやガイドなどの平和学習プログラムを提供しています。

 

嘉数高台公園にてフィールドワーク実施中


嘉数高台公園

株式会社さびらでは嘉数高台公園付近にて、沖縄戦や基地問題を学ぶガイドを実施しております。中学生から大学生、一般の方も含めた方々を対象に行なっております。


詳細については下記より、お問い合わせください!





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